2011/10/10

【Internship】インドネシア、スマランについて

今年度、8月10日~9月27日にかけて、
インドネシアスマラン(Semarang)という市でインターンシップをしてきました。

ここに私がインドネシアで体験したこと、学んだことなどを綴っていき、
少しでも多くの人がインドネシアについて知ってくれればいいなと思います。


【インドネシアってどんな国?】

みなさん「インドネシア」と聞いて、まず何が思い浮かぶでしょうか。
私の最初の印象は・・・


「ええと・・・、インドネシアってどこからどこまでインドネシアなんだろうか^^;」

といった感じです(笑)(↑大声で言えた内容ではありません)
同じような疑問を持った人も多いのでは?

インドネシアは東南アジアに位置する、世界最多の島を持つ国です。



 地図を見ても分かる通り、インドネシアは様々な島から成り立っています。
(中でも日本人に有名なのは「バリ島」ですよね^^)

つまりインドネシアは、様々な文化や歴史を持つ島々の集合体なのです。
よってインドネシアには実に多くの伝統文化、料理、衣装などが
存在することになります。

また主要言語は「インドネシア語」ですが、
各島々に伝統的な言語が今でも存在しています。
私がいたジャワ島では、「ジャワ語」というものをみなさん使っていました。

他の島にもこういった伝統的な言語があり、
特に村の人々やお年を召した方に使われるそうです。


【スマラン(Semarang)の紹介】

私がいたスマラン(Semaran)という市は中部ジャワ州に位置しており、
ジャカルタから飛行機で1時間ほどのところにあります。


特にこれといった観光スポットなどは見当たらないため、
街で観光人客はほとんど見かけません。

そのせいか、街を歩いていると色々な人に好奇な目で見られたり、
声を掛けられたりします。
しかし彼らはとても気さくで、フレンドリーなだけなのです。

最初はテロなどのイメージから、
「インドネシアは危険な国だ・・・」という変な固定観念が先行して、
あまり地元の人とコミュニケーションをとらずにいました。
しかしスマランでの生活に慣れるうちに、
彼らは日本人である私に対し、ただ興味を持っていてくれているだけなのだと気付きました。

私の考えですが、スマランはインドネシアでも安全な所であり、
人がのびのびと生活しているなあという印象を大きく受けました。


【インドネシアと日本の歴史】

日本ではインドネシアについてあまり学ぶことがないように思います。
(私自身、学校で学んだ記憶がありません)

しかしインドネシア側にとっては違います。
というのも日本は昔、第二次世界大戦期にインドネシアを占領し、
人々に残酷な仕打ちをしたからです。

私はスマランにある、SMA5という高校で働いていたのですが、
生徒は皆「歴史」の授業で、日本とインドネシアの戦争について学んでいました。

生徒から
「日本は昔インドネシアを占領し、ひどいことをしてきましたが、
そのことについてどう思いますか」
と質問をされたときには、あたふたしたものです・・・。

私がいたスマランにも、日本からの独立を記念するモニュメントがありました。


ここには戦争で苦しむ人々の様子が刻まれています。

またその向かいには「ラワン・セウ(Lawang Sewu)」という、
日本人が昔インドネシア人を捕虜にし、刑務所として使っていた建造物がありました。


ここで、昔日本人がインドネシア人に行った残酷な行為の数々を聞きながら、
複雑な気持ちになったのをよく覚えています。


しかしそんな過去があったにも関わらず、インドネシアは
「親日国家」として有名です。

私も実際インドネシアで暮らしていて、
多くの人が日本に興味があり、さらには好感を抱いていると感じました。
また生徒の話を聞いていると、日本への「憧れ」のような気持ちまで感じたのです。

戦争地であったにも関わらずインドネシアが親日である理由には
様々なことが言われています。

例えば、日本とインドネシアは地理的に比較的遠いということから、
戦後の争いが少なかったこと。
オランダとインドネシアの戦争時、インドネシアに在留していた日本兵が
インドネシア側に加担して戦ったこと(俗説)。
近年日本のマンガやアニメといった文化がインドネシアで流行したこと。

など、様々な理由があると思います。

しかしいずれにせよ、戦争といった悲惨な過去があるにも関わらず、
「日本人」としてこんなに受け入れてもらえたことに驚いたし、感動しました。

また日本の人に、もっとこの事実を知ってほしい、とも感じました。


Continue...

0 件のコメント:

コメントを投稿