2011/10/26

【Internship】仕事内容①

こんにちは。


外、風がびゅうびゅうです。木枯らしでしょうか?
空気も一気に冷え込んで・・・
冬が到来する気配ですね~~


今日は私が行ったインドネシアでの仕事内容を紹介します。


【インターンシップの仕事内容①】

私が所属していた団体は、
インドネシア、スマランにあるUNDIPという大学の機関です。
http://www.undip.ac.id/

プロジェクト名は
Green Light Army Project(TBI)The British Institute

高校や中学校で自国の環境問題について話すとともに、
世界で起こる様々な環境問題について啓蒙活動を行うというものです。


私は3月11日の東北関東大震災以後、
日本で問題になっている「原発事故、放射能問題」について生徒に紹介し、
原子力発電について皆の率直な意見を聞きました。

(発展途上の国では、原発がどう見られているのかが単純に気になりました)



(↑ 原発についての賛否、その他意見を書いてもらう)


(↑全体の集合写真)



意見は最初、反対派のものばかりでした。


みんな

「インドネシアに原発はまだ早い!」
「政府が管理しきれない!」
「日本であんな惨状だったのだから、インドネシアに管理できるはずがない」(笑)

と口々に言っていました。


確かに・・・、
インドネシア政府は汚職ばかりなんですね。

インドネシアで問題になっていることは何?と人々に聞くと、
7~8割の人がCorruption(汚職)と答えていました・・・。


まぁしかし話している中で、原発を設ければもっと巨大なエネルギーが確保できる
=自分たちの生活ももっと豊かになる

という、比較的賛成派の意見も出ていました。



今のところ、インドネシアに原子力発電所は一基もありません。

政府は建設を予定していましたが
(しかもスマランに比較的近い所に!)
どうやら今計画は凍結状態にあるそうで・・・


放射線は、単に人の健康に悪影響を及ぼすだけじゃない。
当たり前のことが当たり前に出来なくなってしまう。
農家だって、漁師だって、ふつうに毎日を過ごしていた私たちだって・・・

(米農家が泣きながら自分の育てた米を廃棄するドキュメンタリーを見て、
胸が絞られるような、、、切なくて悲しい気持ちになりました)


私たち人間が発明した技術なのに、
それによって生活や生命までもが脅かされるようになるなんて・・・

なんだかおかしな話じゃないですかー、と思ってしまう。
核兵器への応用だって、世界のどこかで必ずあるよね。
人間はいつか自分たちの発明したテクノロジーに滅ぼされるんじゃないだろうか。

・・・
そんなことにならないためにも、
技術を正しい意味合いで使うことが大事ですね。





・・・

って話がズレズレになってしまった(;・_・)>




Anyway,

インドネシアでは、原子力発電の仕組みやその構造について
学ぶ機会はほとんど無いそうです。(生徒情報)

今回の機会で、少しでもみんなが新しい情報を得られたのなら
良かったなと思います。


そしてもし将来、彼らが原発について考える機会があったのなら
この時のことを思い出してくれればいいなぁ~

2011/10/18

【Internship】インドネシアの生活

【インドネシアでの生活】

インターンシップ、第二弾の投稿です。
今回はインドネシアの生活について書こうと思います。

インターンシップ中、私はずっとホームステイをさせてもらっていました。

インドネシアでは珍しいほうだと思うのですが、
私が滞在していた家庭はカトリックを信仰していたため、
ラマダーンの影響は全く被りませんでした(笑)

(※ムスリムの家にホームステイしていた友人は、3時に起きてご飯を食べたり、
そもそも食べ物が何も置いてなかった家もあったみたいで、
色々大変だったみたいです^^;)

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ラマダーン(Ramadan/رمضان)
イスラム教徒が断食を行う月のこと。
この月の日の出から日没までの間、ムスリムは飲食を絶ちます
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私はごく普通の、4人家族の家にお邪魔していました。






(←家族のみんな)







1.お風呂(?)トイレ

まず最初に驚いたこと・・・
それは何といっても

シャワーが無いこと。笑


インドネシアの一般家庭には通常シャワーがありません。
(一部のお金持ちの家にはありますが・・・)

じゃあどうやって身体を洗うのかというと、

まずバスタブのような所に水を溜め、
その水を桶ですくって水を浴びるんですもちろんお湯は出ません)


余談ですが・・・
おもしろいなぁ~と思ったのは、高校の日本語の授業でのこと。

練習で先生が「夜何をしますか?」と生徒に聞くと、
彼らは水を浴びますと答えるんですね(笑)
「シャワーを浴びます」とか、「お風呂に入ります」じゃないんです。

教科書や教材もインドネシア仕様に作る必要があるわけですね。




話は戻りますが、水浴びとは慣れないうちは身震いがするもので・・・
到着から数日後早速風邪をひき、ダウンしたのを覚えています。

風邪をひいたとき、お母さんが
「今日は水じゃなくて、お湯を浴びたい?」と聞いてくれ、
えっお湯出ないんじゃなかったっけ・・・、と思っていると、
わざわざヤカンでお湯を沸かし、水でぬるくしてバケツに入れてくれたんです。


今までホームシックなどなったことなかったのに、
そのお湯を浴びた途端、無性に日本が恋しくて恋しくてたまらなくなりました。

好きな時に好きなだけ、水もお湯も使える生活をしている自分は
なんて贅沢で幸せ者なのだろう、としみじみ思いました。



トイレもほとんどの家庭が自動で流れません。

流したいときはバスタブから桶で水を汲んで、
それを便器に流し込みます。
(トイレと水浴び場は同じ部屋にあります)

ティッシュが置いてあるところはかなり稀です。
私が見かけたのは空港と大きなショッピングモール、
この二か所だけでした。

(おかげさまで、日本に帰ってからも毎日ティッシュを持ち歩いていないと
どうも落ち着きません・・・笑)


インドネシアで活躍する日本人女性(※この件は後で触れたいと思います)
が言っていたこと、それは

「当たり前は当たり前じゃない」

この言葉の意味を、インドネシアの生活を通して痛感することになりました。




2.ハウスメイドの存在

みなさん、「メイド(お手伝い)さん」と聞くとどんな人を思い浮かべますか?
(※秋葉原のメイドさんではありませんよ^^;)

お手伝いさんと言ったら、私はおばあさんやおじいさんといった、
お年を召した方のイメージなんですよね。

しかもそんなお手伝いさんを雇えるのは本当のお金持ちだけ。
日本だと実際そうですよね。


インドネシアでは違います。
一般の家庭でも普通にお手伝いさんが居るんです。

しかも彼らは皆中学生高校生にあたる年代
家が貧しくて学校に通えないため、お手伝いをして収入を稼ぐんです。



“え、でも中学って義務教育だから学校行けるんじゃないの?”



と、私も最初は疑問に思いました。

というのもインドネシアの教育システムは日本と同じで、
小学校と中学校は義務教育にあたるからです。

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インドネシアの教育システム
 1~6年生  ・・・ 小学校
 7~10年生 ・・・ 中学校
 11~13年生・・・ 高等学校
*-----------------------------------------------------*

しかし家庭が本当に貧しいとき、
子供たちは学校へ行って、勉強などする余裕はありません。

家族が毎日生活できるために稼ぐ、
それが彼らのプライオリティーにあるのです。


彼らが学校に行きたくないわけがありません。
彼らは学校に行きたいんです。
They want to ではなく、They are eager toなんです。

でも現実は行けない。
その背景には、やはり「貧困」とか「格差」という根本的問題があります。


私の家に居たハウスメイドさん(名前はノル)は、私の妹(高校生)と同じ年齢でした。

毎朝日が昇ると同時に起き、
お母さんと一緒にご飯を作り、
洗濯をし、
部屋をすべて掃除し、
アイロン掛けをし、
お母さんが切盛りする屋台を手伝う

これが彼女の日課でした。



ある日学校から帰ってきたとき、
ノルが「おかえりなさい」と笑顔を私にむける傍ら、

大量の洗濯物をたった一人でアイロン掛けしている姿を見て
なんだか心に違和感を覚えました。
もちろんそこには私が出した洗濯物もありました。

その違和感というのは、
何故自分より小さい子が私の洗濯物をしてくれているんだろう
という、率直な気持ちから来たものでした。

本当なら今頃高校の帰りで、
友達と遊んだり、家に帰ってお母さんとおしゃべりしたりしているはず。

でも実際、彼女はこうやって自分の実家がある村を離れ、
家族の生活を守るために遠い地に一人で働きに来ているわけです。

胸の詰まる思いがしたけど、かといって自分が彼女をどうこう出来るわけでもない。
もどかしい思いはいつまでも消えませんでした。



それでも笑顔がかわいくて、毎日元気なノルに私はすごく惹かれて、
下手なインドネシア語を駆使して、何とかノルとコミュニケーションをとっていました。

そんなあるとき、帰宅した自分のベッドに手紙が置いてあるのに気が付きました。
手紙はノルからで、中には



Suzuka, you are so friendly to me everyday.
I like you so much!



と書かれていました。

それを見てなんだか熱いものが込み上げてきた感覚は
今でも忘れていないし、これから先も忘れることはないと思います。

彼女は英語が全く出来ないんです。
忙しい中、誰かにわざわざ聞いて書いてくれたのかな・・・、と思うと
言葉では言い表せないような嬉しさでした。




インドネシアは貧しい家族のために働く子供であふれています。

屋台でも、道端でも、誰かの家でも、
食い繋ぐために彼らは働いているんです。
ストリートチルドレンもこれでもかってくらいたくさん居ます。

彼らについてはまた今度触れたいと思います。
では。


continue...

2011/10/10

【Internship】インドネシア、スマランについて

今年度、8月10日~9月27日にかけて、
インドネシアスマラン(Semarang)という市でインターンシップをしてきました。

ここに私がインドネシアで体験したこと、学んだことなどを綴っていき、
少しでも多くの人がインドネシアについて知ってくれればいいなと思います。


【インドネシアってどんな国?】

みなさん「インドネシア」と聞いて、まず何が思い浮かぶでしょうか。
私の最初の印象は・・・


「ええと・・・、インドネシアってどこからどこまでインドネシアなんだろうか^^;」

といった感じです(笑)(↑大声で言えた内容ではありません)
同じような疑問を持った人も多いのでは?

インドネシアは東南アジアに位置する、世界最多の島を持つ国です。



 地図を見ても分かる通り、インドネシアは様々な島から成り立っています。
(中でも日本人に有名なのは「バリ島」ですよね^^)

つまりインドネシアは、様々な文化や歴史を持つ島々の集合体なのです。
よってインドネシアには実に多くの伝統文化、料理、衣装などが
存在することになります。

また主要言語は「インドネシア語」ですが、
各島々に伝統的な言語が今でも存在しています。
私がいたジャワ島では、「ジャワ語」というものをみなさん使っていました。

他の島にもこういった伝統的な言語があり、
特に村の人々やお年を召した方に使われるそうです。


【スマラン(Semarang)の紹介】

私がいたスマラン(Semaran)という市は中部ジャワ州に位置しており、
ジャカルタから飛行機で1時間ほどのところにあります。


特にこれといった観光スポットなどは見当たらないため、
街で観光人客はほとんど見かけません。

そのせいか、街を歩いていると色々な人に好奇な目で見られたり、
声を掛けられたりします。
しかし彼らはとても気さくで、フレンドリーなだけなのです。

最初はテロなどのイメージから、
「インドネシアは危険な国だ・・・」という変な固定観念が先行して、
あまり地元の人とコミュニケーションをとらずにいました。
しかしスマランでの生活に慣れるうちに、
彼らは日本人である私に対し、ただ興味を持っていてくれているだけなのだと気付きました。

私の考えですが、スマランはインドネシアでも安全な所であり、
人がのびのびと生活しているなあという印象を大きく受けました。


【インドネシアと日本の歴史】

日本ではインドネシアについてあまり学ぶことがないように思います。
(私自身、学校で学んだ記憶がありません)

しかしインドネシア側にとっては違います。
というのも日本は昔、第二次世界大戦期にインドネシアを占領し、
人々に残酷な仕打ちをしたからです。

私はスマランにある、SMA5という高校で働いていたのですが、
生徒は皆「歴史」の授業で、日本とインドネシアの戦争について学んでいました。

生徒から
「日本は昔インドネシアを占領し、ひどいことをしてきましたが、
そのことについてどう思いますか」
と質問をされたときには、あたふたしたものです・・・。

私がいたスマランにも、日本からの独立を記念するモニュメントがありました。


ここには戦争で苦しむ人々の様子が刻まれています。

またその向かいには「ラワン・セウ(Lawang Sewu)」という、
日本人が昔インドネシア人を捕虜にし、刑務所として使っていた建造物がありました。


ここで、昔日本人がインドネシア人に行った残酷な行為の数々を聞きながら、
複雑な気持ちになったのをよく覚えています。


しかしそんな過去があったにも関わらず、インドネシアは
「親日国家」として有名です。

私も実際インドネシアで暮らしていて、
多くの人が日本に興味があり、さらには好感を抱いていると感じました。
また生徒の話を聞いていると、日本への「憧れ」のような気持ちまで感じたのです。

戦争地であったにも関わらずインドネシアが親日である理由には
様々なことが言われています。

例えば、日本とインドネシアは地理的に比較的遠いということから、
戦後の争いが少なかったこと。
オランダとインドネシアの戦争時、インドネシアに在留していた日本兵が
インドネシア側に加担して戦ったこと(俗説)。
近年日本のマンガやアニメといった文化がインドネシアで流行したこと。

など、様々な理由があると思います。

しかしいずれにせよ、戦争といった悲惨な過去があるにも関わらず、
「日本人」としてこんなに受け入れてもらえたことに驚いたし、感動しました。

また日本の人に、もっとこの事実を知ってほしい、とも感じました。


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